水戸一高の校訓

ひたちなか市那珂市の学習塾・個別指導塾・進学塾 受験予備校常勝の塾長の吉村です。

水戸一高の校訓を知っていますか?

水戸一高は、合格するのに偏差値70以上が必要な、茨城県内でトップの県立高校です。

その、校訓。

正式には「校是」と言うようですが、一般的な言い方をすれば、校訓です。

それは、

至誠一貫
(しせいいっかん)

堅忍力行
(けんにんりょっこう)

です。

http://www.mito1-h.ibk.ed.jp/index.php?page_id=81

誠心誠意、一生懸命に、一つのことをやり遂げる。

成果が出るまでは、何が何でもやり続ける。

そういう意味だと思います。

戦前も戦後も、時代が変わろうとも、こういう行動原則や考え方が、トップレベルの人には必要なのだ、ということですね。

言葉遊びをしても、意味がありません。

正しいことだと信じうることであれば、信念で、あーだこーだ言わず、実行する。

成し遂げる。

やり抜く。

それが、他人よりも上になるための行動だ、ということですね。

この校訓・校是は校歌の歌詞の中にも入っており、何十回も歌っていたので暗唱しています。

http://www.mito1-h.ibk.ed.jp/?page_id=83

朝日輝く日の本の

栄(は)えある今日のその元は

義人烈士のいさおし(功績)ぞ

忠孝仁義の大道を

貫く至誠あるならば

天地もために動きなん

世界にきおう列強と

並びて進む帝国の

もとい(基礎)はけんにんりょっこう(堅忍力行)ぞ

かちょうげっせき(花鳥月夕)つかの間も

古人に恥じぬ心して

夢怠るな一千人

この水戸一高の校歌の意味は、解釈すると・・・

光り輝く日本国の栄光の現在の姿があるのは、そういう国を作ろうと命がけで頑張ってきた先人たちの功績であることを忘れるな。高い志で改善し続け、死んでいった多くの英雄たちの存在を忘れるな。その中心となったのが忠孝仁義つまり天皇中心の国家体制と目上の人やご先祖さまを敬う精神、そして人間愛や道理・筋を通すこと、そういった古来の哲学や行動指針であって、何百年たっても変わらない日本古来の精神・真理なのである。それを貫く誠心誠意の努力が継続されるのならば、宇宙の真理なのであるから、個人的な成功を収めることができるだけでなく、他人が動き、世の中を動かすことさえも可能となるだろう。

欧米列強などの強国に肩を並べて大国となった今の日本国(校歌が作られた当時は大日本帝国)の中心的な考え方や行動指針は「堅忍力行」で、一言で言えば努力の継続だということ。つまり天才は生まれつきというよりも後天的に作られるのであって、いわば努力の塊である秀才たちが、成果を積み重ねてきた結果だということなのである。自分は頭が良いなどと奢ることなく、改善を継続し、成果が出なくても耐え忍び、理不尽な目にあうことがあっても我慢して、信念にもとずいて突き進むことの集積が、巨大な結果を生み出すのである。成果が出るまでは、たとえ数十万回の失敗や紆余曲折を潜り抜けたとしても、何が何でもやり続ける。それこそが意義のある人生なのだ。なぜかというと、人生は意外に短いものだから。牧場の牛のような無思考の人生も選択できるが、それは水戸一高の生徒であれば選択するべきではなく、向上心、志や夢や目標、正義や信念があるのならば、己のそれを信じて全力で猛進するがよい。

・・・こういった、メッセージだと思います。

グッドな生き方よりも、グレートな生き方を選べ、そういうメッセージを、文語調で勇ましく歌っているわけです。だから私は在学中から大好きで、応援団の人にも負けないように大声で歌ったことを懐かしく思い出します。

私の高校時代は両親の離婚訴訟の時期で精神的に荒んだ時で、経済的にも急激に貧乏になり、進学も諦めるしかないのかな?と思い詰めていた時期だったので、引っ越しした土浦から常磐線で通いながら、通学途中などに、水戸一高の校歌を自分への応援歌として好んで歌っていました。

校歌の内容が素晴らしいだけでなく、メロディも軍歌のようで勇ましく、下駄にマントの旧制男子中学に憧れていたので、(入学後に女子の多さに失望したが)自分を鼓舞できる気がして大好きでした。

現代の成功哲学にも通じる、素晴らしい校歌だし、校訓・校是だと思います。

この素晴らしい水戸一高に、やはり後輩を送りたいと思っています。

至誠一貫 堅忍力行

そういう人を。

https://josyo.jp/

 

 

 

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